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すべ ての記事
共同親権運動


法改正は法的支援
遅くなったが、共同親権訴訟の報告書を、訴訟終了後1年経って発行した。 編集に手間取って遅れていたのだ。 1月17日の高円寺の教会での定例会で仲間のボランティアといっしょに袋詰め、発送作業をした。ぼくが自助グループを始めたのは2008年からなので、この定例会は日本で一番息が長い。その間にぼくたちも様々に学んで力量をつけ、修復的な家族関係を築くグループワークも取り入れて、日本でも共同親権についての先進的な集まりの一つになっている。 そんなわけで、今日も「久しぶりに来ました」という数年ぶりの仲間が顔を出してくれた。 「自分の中では共同親権の活動が占める割合は低くなっても、ここで知ったことが役立っている部分は大きい」 彼は言う。それはぼくも同じだ。 以前は千葉の娘に会いに行く機会に定例会をもって、自分の話も聞いてもらっていた。今は聞き役が多いものの、今度は東京の仲間がぼくが暮らす村にも顔を出すようになった。今回の東京滞在中は立川の家裁の調停に付き添いで行った。司法に行っても子に会えない状況は18年間何も変わらない。法改正を求めて国を訴えた訴訟は何だったん
7時間


「会えない親は独身か?」改正民法と同時施行の独身税
独身税 1月13日のスペース(ネットラジオ)で独身税を取り上げた。「子ども子育て支援金」の 財源に上乗せ分の社会保険料を充てるというものだ。この4月の改正民法の施行と同時に 運用が開始される。社会保険料から平均して初年度250円、2年目350円、3年目450円と年 々上がっていく。 実質的「公的医療保険料の引き上げ」、リターンのない「独身税」、という批判が上がっ た。それに対し、少子化による社会保障の破綻を防ぐために全世代の負担を求めることが 政府の正当化の理由だ。しかし、制度を運用する子ども家庭庁は少子化対策で逆に子どもを減らしてきた。 このテーマを共同親権のスペースで取りあげたのは、子どもに会えない親、いわゆる「別居親」は「独身」なのか、という疑問があったからだ。「養育費の支払いは親の義務だ」と言われながら、改正民法による徴収強化で強制的に子育ての経済的な負担を負わされ、にもかかわらず、さらに社会保険料からも徴収される。経済負担という子育てをしているのに、「ひとり親」も含めた「子育て」世帯に金が回される。 「離婚したら犯罪みたいじゃないですか
40false44 GMT+0000 (Coordinated Universal Time)


秘境は弱者男性天国
この記事は雑誌「状況」(2025年秋号)に掲載したものを編集部に断ったうえ掲載します。 秘境の防災訓練 長野県の大鹿村 長野県の大鹿村という人口800人の小さな村で暮らしている。南アルプス内院のいわゆる秘境である。ぼくの暮らす地区は上蔵(わぞ)といい、現在24軒の家々が5つの班に分かれている。一人暮らしの男性も多く、うちがある峯垣外班では、通常は女性がつく日赤奉仕団の団員のなり手がおらず、一人暮らしのぼくが役を押し付けられた。 ある日バイト先の山小屋から帰宅すると、村の総合防災訓練の案内がポストに入っていた。大鹿村は1961年(昭和36年)の三六災害と呼ばれる豪雨災害による山津波で多くの死者が出た。そのため消防団とともに、日本赤十字社のボランティア組織が防災の担い手になっている。 この原稿を書いている10月9日の時点で、自民党の総裁は高市早苗となり、順調に行けば日本ではじめての女性総理大臣が誕生する。フェミニストはタカ派の高市が「ガラスの天井」を破ってもスカッとしない。「ガラスの床下」を踏み抜いたぼくも、何となく居心地の悪さを感じながら、受付でエ
1月1日


親権が父母ともになくなるとき
「久しぶりです」というと、交番のYさんが笑顔を見せてくれた。 娘の20歳の誕生日がたまたま仕事で上京する期間にあたっていた。娘は高校生になって月 に1度過ごすという父母間の取り決め日に来なくなった。その間、母親は「子どもの意思 を尊重する」と言いつつ、取り決めの取り消し決定を裁判所に求めた。母親の再婚相手は 待ち合わせの場所に現れて、何度も交番に娘を連れ込んだ。 Yさんはそのとき仲裁に入ってくれた交番相談員だった。この日友人がいっしょに付き添 ってくれた。「子ども思いの父親だと思っているでしょうね」とそのやり取りを見て言っ た。 前日、ぼくは古い仲間の母親にインタビューした。最近活動を再会している。「宗像さん 、目が泳いでたよ」と、2007年にぼくが子どもを奪われて、最初に自助グループに足を 運んだときのことを口にした。 彼女は、子どもたちが成人してやっと親権者の意向を気にしなくてよくなったと、子ども たちに調停を申し立てた。2人の子どもたちは裁判所で「自分の意向」で会わないと彼女 に告げた。「会ってないと会いたいと思わないのよ」と初手のミスを後
2025年12月21日


無名の人々こそが主役だ
入り口に列ができて席が次々埋まっていった。11月22日の神戸市での共同親権シンポに発言者として参加した。政治家や弁護士が登壇する中、主催の坂本ゆうさんはぼくの肩書を「作家」にしていた。 子どもを奪われた当事者として発言した当初から、仕事はずっとライターだ。その間に本も出したから、作家と呼ばれる機会は増えた。だけど共同親権運動で発言する際に他人から求められる役割は「活動家」。その呼び名が落ち着きがない自分の性格にあっていることは、不本意ながら知っていた。 2026年4月の施行を控えて、共同親権の改正民法の評価や親子の生き別れの解消に向けての行動がいろいろ提案された。ぼくの子どもたちも会えないままに成人した。聞きたいのはぼくのほうだよ。 その後の懇親会で出会った人たちは、制度が味方をしない中、18年前にぼくがしたのと同じ苦い経験をし、自分の問題を解決できないままに歳月を重ねていた。驚くほど変わっていない。 「都会から村に人を呼ぶことはあっても村の人の話を都会の人が呼んで聞く機会はない」と、自己紹介でぼくはこの問題の裾野の広さを指摘した。この日刷り上が
2025年12月4日
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