共同親権を獲得する人たち第1回「子どもを見守り続けて」 名乗り出ないお母さんは18年を経て(下)
- 共同親権運動

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*本連載は、共同親権に関する活動に取り組んだ人物紹介のレポート、3回シリーズの3回目です。

【プロフィール】関きよみ*せききよみ
町田市在住。1965年生まれ、看護師。1997年に離婚し、5歳の息子と3歳の娘と離別する。2007年に「我が子に会いたい親の会」で同じ立場の親たちと出会い、当事者活動をはじめる。2024年から「親子の想いを届ける会・東京支部」で 、親の離婚を経験した子どもたちへの支援活動を行なう。
「子どもの姿を見守るだけで声はかけない」という約束で、関さんが離婚したのは1997年。それから子どもの住む町に出かけ、通う学校に行き、見守り続けていた。自分が会えなかったのは法制度の問題と知った関さんは、成人した子どもに調停を申し立てた。そして2024年5月、民法が変わった。(宗像充)
親権がなくなる

「ただ見守る」という取り決めがあったとしても、関さんもただ手をこまねいていたわけではない。
子どもたちはそれぞれ当時の成人年齢の二十歳になった。離婚後は片親だけが親権を持つといっても、親権者が親権を主張できるのは、未成年の間のことだ。
「子どもと直接話せる。これでやっと会えると思った」
そこで関さんは、親子関係調整調停を家庭裁判所に申し立てた。子どもたちはそれぞれ家庭裁判所にやってきた。
子どものためにお金を積み立てていること、祖母が保管している母子手帳を自分で保管すること、連絡を取りたいと思ったときの連絡先、それに慰謝料や結婚時の土地購入代の支払いで、関さんが1500万円以上を元夫に支払ってきたことも伝えた。
ぼくが親子ネットを作ったときに作った、『なぜ会えないの? 離婚後の親子』という、子どもに会えない親たちの事例集がある。その中に関さんも、「子どもを見守り続けて」という体験談を寄せてくれている。冒頭、関さんは離婚原因に触れ、「最終的にはわたしの不貞」と書いている。
潔いなと編集しながら思った。ぼくも含めて多くの親たちが、恰好をつけて自分のことは悪く見せないように努力していたからだ。
調停では、子どもたちへの気遣いを見せながらも、簡潔ながらも子どもたちに、ずっと見守り続けてきたことを伝える書面をつづっている。幼稚園を訪問したとき、園の先生が関さんに気を使って、娘の手を引いて園を一周してくれたエピソードがあった。
同じ子どもに会えない親の立場というのを差し引いても、母親としての愛情の温かみと周囲への感謝が伝わってきた。


