共同親権を獲得する人たち第1回「子どもを見守り続けて」 名乗り出ないお母さんは18年を経て(上)
- 共同親権運動

- 2月25日
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更新日:2月26日
*本連載は、共同親権に関する活動に取り組んだ人物紹介のレポート、3回シリーズの 1回目です。

【プロフィール】関きよみ*せききよみ
町田市在住。1965年生まれ、看護師。1997年に離婚し、5歳の息子と3歳の娘と離別する。2007年に「我が子に会いたい親の会」で同じ立場の親たちと出会い、当事者活動をはじめる。2024年から「親子の想いを届ける会・東京支部」で 、親の別居・離婚を経験した子どもたちへの支援活動を行なう。
関きよみさんとは、2008年に子どもに会えない親たちが集まってきていた都内の自助グループで出会った。「子どもの姿を見守るだけで声はかけない」という約束で、関さんが離婚したのは1997年。それから子どもの住む町に出かけ、通う学校に行き、見守り続けていた。法改正の議論が2024年に高まる中、彼女の姿を再び見かけるようになった。共同親権という言葉が果てしなく遠い日々からスタートし、彼女の歩みはどこに続くのか。(宗像充)
「親子の想いを届ける会」東京支部ができる

「親子の想いを届ける会は、SNSのXのタイムラインによく出てきていたから知っていました。2023年の11月に息子の出身大学の学祭にその会が参加していたのを見かけて、翌年会にメールをしてみました」
関きよみさんにインタビューの趣旨を伝えて久しぶりに連絡をとると、「ちょっと考えましたが」と言って返事がきた。以前も今も町田市で暮らしながら看護師をしている。その間、ぼくが所属する共同親権運動の団体に、毎年欠かさず会費を治めてくれていた。
久しぶりに再会すると、以前と同じように明るい笑顔を見せ、積極的に自分のことを話してくれた。
現在は「親子の想いを届ける会」の東京支部の活動を続けている。愛知県で親に会えない子どもの支援をしてきた市民団体だ。親の別居・離婚を経験した子どもの想いに寄り添う支援を目指している。
岐阜に会場を提供できる、同じ子どもに会えない親の立場の仲間がいたので、活動の役に立てればと、関さんは申し出た。会の代表と電話で話した際に、地元での活動参加の打診があったので、他に賛同者が現れたら考えますと返事をした。次の日、「町田支部設立(?)」の投稿がXのタイムラインから流れてきた。
岐阜県で成長した子どもたち

関さんが岐阜県につながりがあったのは、5歳と3歳で生き別れた息子さんと娘さんが岐阜で暮らしていたからだ。
離婚の過程では、家から関さんが追い出されている。1997年の12月のことだ。そのため具体的なことも決めず、子どもたち2人は元夫側が引き取ることになった。
とはいっても、元夫も関さんも、神奈川県内で仕事を持っていた。
それで、子どもたちは元夫の実家の岐阜県に預けられ、姑(元夫の母親)が育てることになった。父親が毎週子どもたちのもとに通っていたとはいえ、2人は両親といきなり離れて暮らし始めた。

