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共同親権運動


法改正は法的支援
遅くなったが、共同親権訴訟の報告書を、訴訟終了後1年経って発行した。 編集に手間取って遅れていたのだ。 1月17日の高円寺の教会での定例会で仲間のボランティアといっしょに袋詰め、発送作業をした。ぼくが自助グループを始めたのは2008年からなので、この定例会は日本で一番息が長い。その間にぼくたちも様々に学んで力量をつけ、修復的な家族関係を築くグループワークも取り入れて、日本でも共同親権についての先進的な集まりの一つになっている。 そんなわけで、今日も「久しぶりに来ました」という数年ぶりの仲間が顔を出してくれた。 「自分の中では共同親権の活動が占める割合は低くなっても、ここで知ったことが役立っている部分は大きい」 彼は言う。それはぼくも同じだ。 以前は千葉の娘に会いに行く機会に定例会をもって、自分の話も聞いてもらっていた。今は聞き役が多いものの、今度は東京の仲間がぼくが暮らす村にも顔を出すようになった。今回の東京滞在中は立川の家裁の調停に付き添いで行った。司法に行っても子に会えない状況は18年間何も変わらない。法改正を求めて国を訴えた訴訟は何だったん
1月18日


「9割は共同親権にしたい」のに「養育計画の認知度はない」 - 第2回共同養育計画書における勉強会
2026年1月16日、参議院議員会館で、共同養育計画の制度化を目指す勉強会が開催された。面会交流(親子交流)支援や離婚家庭支援に関わってきた4団体からの講演・報告のほか、国会議員、地方議員から法改正を前にした自治体での取り組みについて報告があった。 共同養育計画の法制化を目指す 昨年11月28日に開催された院内勉強会、「共同親権で日本はどう変わるか?」に続くもの。今回のテーマは「支援実務から見た(共同)養育計画書 」。国会議員、地方議員、行政職員、有識者を対象とし、30人ほどが参加した。行政書士や弁護士など、フロアはスーツ姿の男性の姿が目についた。子どもに会えない親たちの姿も多く、主催者も現行制度のもと子どもと引き離された親たちだ。
1月17日


共同親権民法改正、何が変わるのか?
二〇二四年五月、共同親権を婚姻外に規制緩和する改正民法が成立し、二〇二六年からの施行が予定されている。昨年の民法改正時にはDVの被害者保護を主要な論点とする反対運動が起きた。一方で、子どもを奪われた親たちは、法制審議会の議論と並行して、国を訴える立法不作為の国賠訴訟を提起した。失われた子との時間の償いを求めて憲法を武器にたたかった親たちを、左派・リベラル紙や市民運動が加害者とレッテル貼りする。いったい何が起き、そして法改正で何が変わるのか。 目次 別姓と共同親権 戦後民法改革と日本国憲法 いったい何が変わったのか? 司法に行けば会えるのか? 立法事実は何だったのか? なぜ国を訴えたのか? 「共同親権」を世に与える 別姓と共同親権
1月9日


「共同親権 VS DV」は本当か?
共同親権 目次 共同親権のリスクを描いた映画『五月の雨』上映会に潜入 「共同親権のリスク」を強調 「DVは許されない」関係が切れないまま続く支配 「共同親権か単独親権かという二者択一」は本当か? 改正民法施行後5年目の「必要な措置」とは? 共同親権のリスクを描いた映画『五月の雨』上映会に潜入 2025年12月11日、衆議院第一議員会館で、離婚後共同親権を考える映画『五月の雨』の院内上映会が開かれた。映画を作ったのは、2024年の民法改正時に激しい反対運動を展開した「ちょっとまって共同親権ネットワーク」。クラウドファンディングで563万円の資金を集め、「五月の雨」製作委員会による映画製作に漕ぎつけた。 「共同親権のリスク」を強調 配布されたフライヤーには「これはDV被害者の魂の叫び」という言葉とともに、制度に懸念を示す人々の国会前デモの写真が掲載されていた。裏面には、離婚後共同親権の導入を含む民法改正の施行を前に、制度の危険性を訴える目的で制作された旨が記されていた。
1月9日


無名の人々こそが主役だ
入り口に列ができて席が次々埋まっていった。11月22日の神戸市での共同親権シンポに発言者として参加した。政治家や弁護士が登壇する中、主催の坂本ゆうさんはぼくの肩書を「作家」にしていた。 子どもを奪われた当事者として発言した当初から、仕事はずっとライターだ。その間に本も出したから、作家と呼ばれる機会は増えた。だけど共同親権運動で発言する際に他人から求められる役割は「活動家」。その呼び名が落ち着きがない自分の性格にあっていることは、不本意ながら知っていた。 2026年4月の施行を控えて、共同親権の改正民法の評価や親子の生き別れの解消に向けての行動がいろいろ提案された。ぼくの子どもたちも会えないままに成人した。聞きたいのはぼくのほうだよ。 その後の懇親会で出会った人たちは、制度が味方をしない中、18年前にぼくがしたのと同じ苦い経験をし、自分の問題を解決できないままに歳月を重ねていた。驚くほど変わっていない。 「都会から村に人を呼ぶことはあっても村の人の話を都会の人が呼んで聞く機会はない」と、自己紹介でぼくはこの問題の裾野の広さを指摘した。この日刷り上が
2025年12月4日
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