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ちゃんと共同親権オンライン

「司法は私たちをアウトローにした」 座談会「共同親権訴訟、私たちの到達点」(下)

発言・宗像充(司会・元原告)、吉田文典(元原告)、小川雄二、菅原孝司、加茂大治(事務局)


2019年11月に提訴した共同親権訴訟(養育権侵害訴訟)。2025年1月に最高裁判所が上告を不受理・却下することで終結した。


訴訟は敗訴で終わったものの、本訴訟は改正民法の議論と足並みをそろえて進行し、2024年5月に改正民法は成立した。原告団の解散後、行なわれた座談会では「共同親権という言葉を世の中に与えた」と訴訟の意義が強調された。(2025年7月5日、大鹿村)


会報「ちゃんと共同親権」準備号に掲載した記録、3回シリーズの最終回。




運動にかかわり続ける意味


――僕も当事者性は小さくなっているんですけども、これから先、自分がかわろうって思ったんであれば、やっぱりおもしろくないとやる気がない。自分が困ってるから解決しなきゃいけないというのがこれまでの段階だったとすると、自分が関わってきたことについて、こんな中途半端な状態で放置されてそのままになってしまうっていうのは悔しい。でも中途半端であるがゆえに自分がかかわる余地がすごく大きい。僕も含めていろんな人が関われる運動っていうのがこれから重要になってくるし、それがやっぱり、僕たちの団体が他の当事者団体と違ってきたことの1つではあると思う。



加茂 ずっと共同親権の問題にかかわってきて、個々のケースとコンセプトをどう整合性を持たせるかということはすごく考えてきた。量的に計ろうとする司法なり国家なりに対して、私たちは具体的にこういう被害に遭っていますよということをどうやって言い続けて、それがあるクラスターとして人々に共感してもらう方法をどうしたらいいのか。


この運動から出てくる言葉っていうのはいっぱいあると思うんです。差別とか家族のあり方とか、家族と家庭がいっしょであるのかないのかとか、そういったものを普遍的なものとして世の中一般の人々に流布していきたい。



吉田 おもしろくないとやる気が出ない。とてつもなくおもしろくない10年でした。差別された側、差別された状態だと思うんです。いろんな場面で人って差別が属性化されている。ある個所ある個所で社会から差別されている。


そういう人が共同親権にかかわらず、今回の呼びかけ文にあるように、いろんな人が集まってはちょっと気分を変えたり、いろんな人とかかわったりする場所が大鹿であって、そっからまたそれぞれの住む地で違う自分として生きていける。おもしろい場所、リセットできる場所っていうのに携われていければいい。居場所ですよね。いていい場所。変われる場所。


――変わんなくてもいいじゃないですか、自分を受け入れてくれれば。


ぼくは国立で市民運動を20年くらいやってきたんですけども、やっぱりいろんな運動があるので、それぞれアピールしてることが矛盾していたりもして、でもいろんな人がそれぞれ抱えている問題っていうのがあるんだなって知ること自体がすごく刺激的だった。


そういうのって普通の人は経験することがなくて、当事者になって自分は、一言で言ったら非正規っていうふうに説明できたなって今思いましたけど、そういう非正規の形になったがゆえに、 つながれる相手とか、いれる場所とかを発見していく。それはこれからも続く。



「非正規」の果たす役割

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