「養父は父か」京都南丹市・遺体遺棄事件と養子縁組制度
- 宗像 充

- 5月13日
- 読了時間: 6分

「養父を父と呼ぶなんて」
京都府南丹市の遺体遺棄事件について、容疑を認めた安達勇樹容疑者が父親という呼称で報道されることに対して、子どもに会えない親たちが反発する様子を、SNSで多く見かけた。
婚姻破綻後も双方の父母の関与が継続する共同親権なら、事件は防げたのではないか、ともいう。容疑者は母親の再婚相手で、養父となった。自らが子どもに会うのを同居親の意思一つで拒絶され、その再婚相手が子を虐待したり殺したりする事件を聞けば、子に会えない親は、胸がつぶれるような気持ちになるだろう。
事件が防げたかどうかはともかく、養父を「父」と呼ぶのは事件の背景事情を考える際の障害になるのではないか、と当事者の親でなくても意見するのは正当だ。
養父母悪玉論の是非
こういう事件を聞くたびに、養父母の悪玉論が主張される。それに対しては、ぼくは気持ちが揺れる。
子どもを再婚相手の養子に断りもなく入れられ、その後会わせるという母親との約束が守られず、2年間子どもに会えなくなった身としては、養父母悪玉論に気持ちはなびく。



